仙台高等裁判所 昭和33年(う)389号 判決 1958年12月09日
控訴人 原審検察官 樋口直吉
被告人 伊藤儀作
弁護人 佐藤和夫
検察官 福田正男
主文
原判決を破棄する。
本件を福島地方裁判所(平支部)に差し戻す。
理由
検察官福田正男の陳述した控訴趣意は、記録に編綴の福島地方検察庁平支部検察官樋口直吉名義の控訴趣意書の記載と同じであるから、これを引用する。
同控訴趣意について。
原判決は、鉱山保安法(昭和二七年法律第二七六号による改正前のもの)第五六条第五号は一種の身分犯であつて、鉱業権者(又は鉱山労働者)だけを処罰の対象としていると解すべきであり、また同法第五八条は違反行為者が本来前三条により処罰の対象となり得る場合に、前三条により当該違反行為者を罰するほか、事業主である法人又は人をも更に処罰できることを定めた規定に過ぎないのであつて、前三条の違反行為をしたけれども元来処罰の対象となり得なかつた者をも処罰できる趣旨に解すべきではないから、鉱業権者ではなく鉱業代理人であつた被告人の所為は罪とならない旨説示して、被告人に対し無罪の言渡しをしている。
ところで、同鉱山保安法第二条一項は「この法律において『鉱業権者』とは、鉱業権者及び租鉱権者をいう」とし、同法第四条は「鉱業権者は、左の各号のため必要な措置を講じなければならない。……」と規定し同条の規定に違反した者に対する罰則規定として、同法第五六条は同条第五号の「第三十条の規定による省令に違反して、第四条に定める措置を講ぜず、又は第五条(同条は「鉱山労働者は、鉱山においては、保安のため必要な事項を守らなければならない」と規定する)に定める事項を守らない者」に該当する者は、六箇月以下の懲役又は三万円以下の罰金に処することを定めているのであつて、右同条同号前段の犯罪の主体は、右各条の関する限りでは、鉱業権者である。しかし、同法第五八条は「法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関し、前三条(第五五条、第五六条、第五七条)の違反行為をしたときは、行為者を罰する外、その法人又は人に対して各本条の罰金刑を科する」と規定しており、その前身(鉱山保安法は旧鉱業法、鉱業警察規則、石炭坑爆発取締規則等の鉱山保安関係法規に代るものとして制定された)というべき旧鉱業法第一〇四条の「法人又ハ人ハソノ代理人、同居者、雇人ソノ他ノ従業者ニシテ其ノ業務ニ関シ本法ノ違反行為ヲ為シタルトキハ自己ノ指揮ニ出テサルノ故ヲ以テ其ノ処罰ヲ免ルルコトヲ得ス」との立法形式をとる規定につき、法人の業務に関しその従業者が法令違反の行為をしたことにつき法人を罰すべき場合には、別段の規定のない限り従業者を罰することを得ない旨の大審院判例(昭和九年四月二六日第一刑事部判決等)が出た後、前記鉱山保安法第五八条にいわゆる両罰規定が採用された立法経過、及び右第五八条が「行為者を罰する外」云々と定めていること等に鑑みれば、両罰規定は直接にはその法人又は人に直接責任があるものとした立法形式とみられるとしても、同法第五八条により同法第四条及び第五六条が同法第二条第一項の鉱業権者に対してのみならず鉱業権者たる法人又は人の代理人、使用人その他の従業者に対しても適用せられる法意であると解するのが相当であり、即ち、鉱業権者の代理人、使用人その他の従業者が同法第四条の違反行為をしたときは、同法第五八条第五六条第五号前段により罰せられるものと解すべきである(最高裁昭和三〇年一〇月一八日第三小法廷決定・同昭和三三年七月一〇日第一小法廷判決各参照)。そして、被告人は原判示株式会社石川炭砿の鉱業の実施に関し鉱山保安法及びこれに基く省令によつて鉱業権者が行うべき一切の手続その他の行為を委任されていた鉱業代理人であつたことは原判決も認めているとおりであつて、法人の代理人に当り、鉱業権者と同様鉱山保安法上の遵守義務を負担していたものといわねばならない。
以上の次第で、原判決は法令の解釈適用を誤つたものというべく、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
そこで、刑訴法第三九七条第三八〇条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条本文により本件を原裁判所である福島地方裁判所(平支部)に差し戻すべきものとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 門田実 裁判官 細野幸雄 裁判官 有路不二男)
検察官樋口直吉の控訴趣意
原審は、法令の適用を誤つた結果本件につき無罪の判決を言渡したものであるから該判決は破棄せらるべきものである。
一、原判決は公訴事実である主訴因について、(イ)、鉱山保安法(昭和二七年法律第二六七号による改正前のもの以下同じ)第五六条第五号は一種の身分犯であつて特定の事項に対しては鉱業権者又は、鉱山労働者のみを処罰の対象としているものと解すべきであること。(ロ)、被告人は鉱業代理人ではあるが同法上代理人に対しては特定の義務事項はなく代理人は飽迄代理人であつて右の様な身分を取得するいわれがないから処罰の対象とはたらないものであること、を理由とし又本件公訴事実の予備的訴因については、(イ)、鉱山保安法第五八条の規定は前記のように同法第五五条乃至五七条によつて処罰の対象とされている鉱業権者又は鉱山労働者が違反行為の実行行為者である場合にこの実行行為者を処罰する外事業主である法人又は人をも処罰出来るものとした趣旨と解すべきであること、(ロ)、被告人は、元来処罰の対象とはなり得なかつたものであるから本条の規定によつても処罰出来ないものであることを理由として結局無罪の言渡を為したものである。然しながらこの様な原判決の見解は次に論ずる様に誤つたものであると言わなければならない。
二、鉱山保安法上鉱業権者の義務として規定せられた事項については鉱業代理人にも遵守すべき義務がある。鉱山保安法は原判決指摘の通り鉱業権者の遵守すべき事項と鉱山労働者の遵守すべき事項とを各別に規定しそれぞれ同法上の義務者としていることは明かであるが、これを以て同法の罰則は原判決所論の様な身分犯を規定したものと解することは不当であると考える。鉱業に於ては鉱業権者が事業主として経営の衝に当りその指揮統制下に総ての従業員は事業主の手足的地位においてそれぞれの業務に従事しているのであるが鉱山保安法はこの様な実状を前提としてその経営にかかる鉱山の保安等を取締る為に設定された行政法規である、同法第一条にはこの法律の目的として「鉱山労働者に対する危害を防止し鉱物資源の合理的開発を図る」ことを掲げ第二章保安として第四条以下において保安に関する事項を規定しているのであるが前示のような事業経営の実状に鑑みこれ等各条を綜合考究すれば鉱業権者はその義務として定められた保安に関する主要事項については業務上の職制を通じ必要な措置を講ずると共に鉱山労働者に対しては必要な指示を為すべきことは勿論保安管理者等を選任しこれ等保安技術員をして保安の実施をなさしめることを要し一方鉱山労働者は各自の立場において保安に関する規定を守り且つ鉱業権者の指示に従わなければならないことを知るに十分である、即ち同法は鉱業と言う事業全体における安全の保持を目指しているのであり、鉱業権者は従業者をして保安に関する反則をなからしめる様に注意監督すべき義務があり、鉱山労働者は鉱業権者の指示監督に従うべき義務を負いかくて両者一体となつて保安の実をあぐべきことを期待しているのである。本件記録によつて明かな様に被告人は株式会社石川炭砿の鉱業代理人で「鉱業代理人の保安に関する代理権限等に関する省令第一条により鉱山保安法及びこれに基く省令によつて鉱業権者が行うべき手続その他の行為を委任するため選任されたものとみなされているものであるから鉱山保安法上に於ては鉱業権者に準ずべき地位にあり同法により鉱業権者の義務と規定された事項は当然遵守し旦つ実施すべき義務を負担しているものと言わなければならないのである。(但し旧鉱業法施行細則第七三条の様な明文のない鉱山保安法の下においては鉱業代理人たる身分そのものを前提として処罰されるものでないことは原判決の指摘している通りである)この点について原判決は同法第一七条につき「しかしながら、鉱山保安法はその第一七条違反に対し罰則を設けていない点からも十分窺われるように、右のような一般的義務の存在を前提としながらも、保安法規違反者は何人といえどもすべてこれを処罰の対象とする程の必要はなく、特定の事項については、特定の身分を有する者だけを処罰すれば足り、」と論じ身分犯と解すべきことの一論拠としているが右第一七条違反と言うのは鉱山労働者が保安技術員の指示に従わない行為を指すのであるから正に身分を有する者の違反行為と言うべきであるが同法はその処罰価値を否定したに過ぎないのであつて所論の様に同法罰則において身分犯を規定したものと解すべき論拠とはならないものと考える。却つてこのように身分を有する者の或る行為に刑を科していないことは同法が身分を重視し身分犯を原則としたものではないと解釈すべき余地を与えるものである。
三、鉱山保安法第五八条の規定は原判決所論のような身分犯説を排斥したものである。更に原判決は立法の経過及び条文の形式から見て鉱山保安法第五八条は所論の身分犯説を排斥するには十分でない旨を論じ「他に余り例のないような立法形式で、特定の事項については特定の者が義務者であることを強調しておきながら他方では、転嫁罰的規定を廃棄し、代えるに身分犯説を否定し去るにはなお多くの疑点を残す両罰的規定を設けただけで、他に何等の解決策もとらなかつたことは、前示のように、鉱山保安法は処罰の対象を特定の義務者に限定したものと解する一論拠となるであろう。」と論じている。そこで同条文を見ると「法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関し前三条の違反行為をしたときは、行為者を罰する外、その法人又は人に対して各本条の罰金刑を科する。」と規定されて居りこれを素直に判読すれば法人又は人の業務に関して代理人、使用人その他の従業者が違反行為を為した場合には当該行為者を罰する外に事業主をも処罰する旨を規定したものと解せられ同法上直接義務者として規定されたものに限ることを前提としたものとは解せられないのであつてこの間何等疑問を差はさむ余地はないのである。若し原判決が解釈している様に鉱業権者又は鉱山労働者と言う身分を有する者のみを処罰の対象とする趣旨とすればこれは鉱業の実力者であり従つて違反に対する実質的責任者というべき法人の代表者及びその代理人の違反行為については処罰規程がないこととなり本条が特に法人の代表者及びその代理人を違反行為の主体と規定した条文は全く空文に帰し立法上の形式的な体をなしていない冗文となつてしまうような立法者の真意に反対する独自の解釈と言わなければならない。又本件記録の中被告人の供述調書(記録第二九七丁以下)の記載によれば被告人は株式会社石川炭砿の社長伊藤儀七の養子で事業の経営一切を委任されて居り事実上鉱業権者と同様の地位にある者でこの地位を法的に裏付けるため鉱業代理人に選任されたのであり本件炭砿の保安に関する一切の事項を指揮監督していた者で本条に所謂法人の代理人に該当するものであることが明瞭である。而るに原判決の解釈によれば前記第五八条の規定によつても処罰されないこととなるのであるがこれは社会の実状から遊離した解釈であると云う外はないのである。更に立法経過を見ると、鉱山保安法は旧鉱業法鉱業警察規則石炭鉱爆発取締規則等の鉱山保安関係法規に代るものとして制定されたものであるが、旧鉱業法第一〇四条「法人又ハ人ハソノ代理人、同居者、雇人其ノ他ノ従業者ニシテ其ノ業務ニ関シ本法ノ違反行為ヲ為シタルトキハ自己ノ指揮ニ出テサルノ故ヲ以テ其ノ処罰ヲ免ルルコトヲ得ス本法ニ基キテ発スル命令中別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外其ノ命令ニ規定セル罰則ニ付テモ亦同シ」の解釈に関し大審院判例は同条は鉱業権者のみを処罰する趣旨であると判示する外(判例総攬諸法令上巻五四五頁参照)学説にも所謂転嫁罰規定と解釈したものがあつたが鉱山保安の目的を達成するためには実行行為者である代理人その他の従業者を処罰する必要があるので鉱山保安法は第五八条に所謂両罰規定を採用し事業主の外実行行為者を処罰し得る様に改め原判決所論の身分犯説を排斥することを明瞭にしたものであつて同法においては旧鉱業法施行細則第七三条の様な明文を定めなかつた所以である。飜つて考えるに行政法規上遵守義務を負担していないものは法理上処罰の対象とならないことは言うまでもないが被告人は鉱業代理人として鉱業権者と同様鉱山保安法上の遵守義務を負担しているものと言うべきであるから同人を処罰することは何等法理に反することではないのである。
四、原判決の解釈は通説に反し且つ最高裁判所がなした同種の判決例に反するものである。原判決がなした鉱業法第五八条に対する解釈は前記(一)に示した通りであるが現在同法条に対する通説(例えば法律学体係コンメンタール二三編加藤梯次外二名著作の鉱山保安法、法律学全集五一巻我妻栄外一名著作の鉱業法)及び行政解釈においては同条に所謂行為者とは他の両罰規定について一般に解釈されている通り従業者として事業主の業務に関し実行行為をしたものであれば足りその者自身が鉱山保安法上の直接義務者として定められている者であることを要しないものと解釈し原判決所論の身分犯説を排斥しているのである。又このような通説及行政解釈を裏付けるに足る古物営業法第三三条(両罰規定)此関する最高裁判所の次のような判例がある。「古物商の従業員が古物営業法第一六条の違反行為をしたときは同法第三三条第二九条により罰せられる」(最高裁判所判例集第九巻第十一号二二五三頁以下、昭和三〇年一〇月一八日第三小法廷)尚原判決は余論として「鉱山保安法の対象となつている鉱業権者の大部分は法人であり、従つて、事実上鉱業権者と同様の立場にある鉱業代理人を処罰できないことになつて、鉱山保安の実が挙がらず、鉱山保安法中罰則を設けた趣旨が没却されるという非難を受けるかも知れないが、これは立法の不備に帰着し」と論じているが、これまで論じたように立法上には、不備がなくこの余論は原判決がなした誤れる解釈に基因した一種の見解に過ぎないものである。本件において被告人は株式会社石川炭砿の鉱業代理人であり又本件炭砿の鉱長の地位にあるものであつて保安に関しては鉱業権者の委任を受け総ての行為を行う地位にある者にして本件公訴事実については一件記録を検討すればこれを認めるに足る証拠が十分であるから被告人の所為に対しては鉱山保安法第五八条を適用して相当の刑を科さなければならなかつたものである。
以上に論じた如く原判決は鉱山保安法の罰則の解釈を誤つた結果適用すべき法条を無視して無罪の言渡を為したものであるから同判決を破棄し更に相当な裁判を為すべきものと思料する。